いよいよ最終編です。特に外資系コンサルティングファームに勤めている人は”成果主義”を強く刷り込まれる(イメージとして)傾向にあります。それは機械的でドライを極めた評価制度で、ドラマのように人間味がゼロでも超優秀な人間は評価されると感じるかもしれません。
ところが所詮は日本人が集まっただけの企業なので、転職で入ってくる日本企業カルチャーも少なくないからか、やはりヒューマンスキルも非常に重要になります。定量評価しづらい領域なので、所詮は人が決めることでしかなく必ず感情的なものも挟まるのです。
■評価している側は、死線を切り抜けた猛者ではないか。
「人を評価する基準は、今までの自分(評価者のこれまでとの比較)です」
そんなこと声に出して言われたら「公平とはなんぞや!!」と叫びたくなりますが、一方で事実としてこの認識を否定することも難しいと思います。コンサルティングのようなプロジェクト毎にアウトプットが異なり、チームで同じものに取り組んでいるので定量的な差が見えづらい場合はなおさらです。
テストの点数で60点以上が合格、といったように定量的に評価ができない以上は過去の自分が基準になりがちですし、
- 特にコンサルの場合、ある程度優秀だった人以外は評価者(管理職)まで残っていない
- どんな人でも、自分の過去は多少美化されがち
というのが事実上あると思います。つまり最高の評価(そのクラスでは完璧)をもらうには、そもそもかなりハードルが高いということです。同期の30人が同じ職場にいるわけではない以上、上位数%は必ず最高評価という相対評価制度でもありません。
なのでこの最高位を本気で目指すということは、ある一定以上は無駄に神経を擦り減らす出世レースに参加するようなものです。
■でもランクをスキップするような高い評価をもらう人はいる。なんで?
現実的に相当難易度が高いのを理解したうえで、評価期間の後、
「A君はランク(細かい職位レベル)を1段スキップして、もうマネージャーになったらしい」
みたいな話を耳にします。
自分だって高みを目指して1年頑張ったからこそ、そんな話を聞くと悔しくてたまりませんね。ではA君はなぜそんな高い評価をもらえたのでしょうか。逆にここでは、そんな気持ちよく最高評価を出せない理由について考えたほうが筋がいいかもしれません。
でも世の中には”30点の人を60点の合格点にする方法”はたくさん情報が出回っていますが、”70点の人を90点以上にする方法”はなかなかないものです。前者の方が「やり方を理解して実践し始めれば目に見えた効果が出やすい」からです。
最高評価を目指すには「異常なレベルの飛び抜けたスキルが1つある」か、「全体に非がなく、それぞれのスキルも平均以上に高い」必要があります。
ただし、これにはヒューマンスキルも含まれます。そして若い人ほどこの点による評価の引っ掛かりがあるのではないでしょうか。(そしてそれが当たり前のことで、自分にがっかりすることではないと思います)
■評価されづらい人、そのタイプを考えてみる。
■評価されづらい人①:仕事はできるがいつも疲れてる、しんどそうでネガティブ
これは僕も大いに反省するところです。指示を受けたことは24時間体制で対応して、深夜でも「できました!」と言って提出をしている。そういった人は評価者から見ると”ギリギリでなんとかこなしている”とか”深夜まで働かないと間に合っていない”と思われることがあります。
つまりコイツは余裕がないという判定です。そう思うと次のクラスをスキップしてチャレンジさせても、うまくこなせないだろうと感じてしまいます。なので同じ成果を出すにしても”余裕だってある”感じで見せるのが良いのかもしれません。”遅くまで働きましたアピール”は不要です。実際に疲れ果てているようにばかり見えると印象が良くないのです。
■評価されづらい人②:上司にイラ立つがゆえに非社交的
非常に残念な事実ですが、評価者から”印象が良い”ことは評価に非常に重要です。淡々とやるべきことはやっているものの、上司の無茶な指示には常日頃イライラしていませんか?それは態度に出るんです。例えばイライラしているのがわかる、淡々とこなされるしポジティブな提案がない、なつっこくない。
結局のところ人懐っこい人は好かれるのです。これはビジネスの世界でももう再三言われいていることですよね。個人的にはあまり好きな内容ではないですが事実だとは思います。つまり成果主義とは言いつつ「結果が出せない=キャラにかかわらずアウト」ではあるものの、「結果が非常に出ている≠最高評価」ではなく、さらに”人懐っこくてかわいい部下”であることも重要な最高評価要素だということです。残念ながら評価者は神様ではないのです。
■評価されづらい人③:実績のアピールがへたくそ
本質ではないと言われるかもしれませんが、学校の先生と違って評価者の主な仕事は部下を見ることではありません。自分のチームで成果を出すために、部下はリソースの一環なのです。評価は業務のメインでもありません。なので「上司は影で成果を出している自分をきっと見ていてくれるさ」と思ってもNoであることが多いです。
無邪気に「これ僕やってみてもいいですかー?」とコミットメントを宣言し、「やってみたらできましたー!指摘があれば改善します!」と成果をアピールしている人の方が、その影で様々な仕事を細かく支えている人より評価されやすいということです。見せ方を意識しない職人肌の人は、残念ながら職人として「自分だけが作った成果物」を評価してもらう職種の方が良いでしょう。例えばエンジニアなどの専門職です。
■そんなに評価は公正じゃない。それを理解したヒューマンスキルも重要。
どうでしたでしょうか?まずは僕の経験をもとに上司に感じたこと、部下に感じたことを書いてきました。ハッキリ言えば「美しく理想的なほど、定量的に評価される成果主義企業はない」ということです。
べつに毎日ゴマスリながらコツコツと媚を売れ、なんてことは言いません(僕は上司だろうと部下だろうと同期だろうと、好きな人と以外飲みに行くのは正直ダルい)。
でもあまり潔癖的にそういったニュアンスを嫌うと良い評価が出ないことは多くあるでしょう。どこに行っても”可愛がられるヤツ”はいるもので、そういう人は評価もされるし、同時にダメ出し(つまり良いフィードバック)もされるものです。反対に可愛くない人間には、良かれと思ってフィードバックするほどではないのが人情です(職位上、必要だから行いますが)。
なので可愛がられるポジションで、かつ謙虚に学びながらコツコツ良い結果を出していくと最高評価にたどり着く可能性が高まります。
今回は自分の反省も含めて、気が重たくなるけど向き合わなければならないテーマを書いてきました。正直なところ、僕とその上司・部下を見てきた経験値似寄るものが大きく、網羅的ではないかもしれません。でもこれを読んで頂いて、ふと自分を見つめ直した方は次に大きな伸びが待っているかもしれません。
そしてそれには、ツラいですが謙虚な心が必要です。僕も含めて。